ものづくりの匠の技

中国盛和塾 曹氏引率3日間④

日吉屋

和傘を製造販売する日本でも数少ない専門店。

先代で廃業する予定だった。今はビニール傘の需要が圧倒的で、和傘は一部の茶道界、日本舞踊の世界でしか使われないものとなったから。

そこで創業家の娘婿となり、元々公務員であった西堀氏が名乗りを上げ、この店を継ぐと言ったのだ。

なぜつぶれそうな和傘の店を継いだのか。そこには伝統の技に培われた、美しさがあったからであった。和傘は竹で出来た土台に和紙を張り、色を塗って、漆をコーティングして出来上がる。最後の工程に太陽の日差しで乾燥させるところがある。それを見た西堀氏は太陽光がその和傘を通して地面に写る色合いがとても美しく、そこにほれ込んだのだ。

また和傘独自の開閉装置の編み込みが素晴らしく美しいことにも残すべき伝統の技を見出したのであった。

しかし和傘の需要がすぐに増えるわけではない。どうしたら当社は生き残れるのか。必死に考えた。異業種の方とも意見を交換した。試行錯誤が続いたが、もとより英語が堪能で、海外に強かった西堀氏は和傘を照明器具として再開発し、イタリアのミラノサローネという世界最大のインテリア展示会に出したのである。最初は全く見向きもされなかったが、何年か続けた結果、地元の有力インテリア雑誌に取り上げられ、一気に大人気店となった。

その結果、「グローバルニッチ」という戦略を推進し今に至る。この戦略とはデザイン照明の業界に入る和傘的照明器具は一か所でそれほど多くの需要があるわけではない。であれば世界中に営業拠点、窓口を置き、各国の需要を少しずつでいいから取り込んでいこうと考えた。世界15か国に営業拠点を置き、情報を収集していった結果、中国、アメリカ、欧州様々なところからオファーが来るようになった。インテリアデザイナーとのコラボも大きな転換点であった。

そうして廃業寸前の和傘屋を世界のインテリア商材メーカーとして復活させたのである。

更にこのノウハウを他の伝統産業にも応用できないかと考え、行政との連携も行い、自社製品を海外デザイナーの目でコンセプトを再構築して、新製品を開発する事業を始めた。

これが京都だけでなく、日本中に広まっており、多くの新商品が開発され、世界市場に発信している。この取り組みをコーディネーターとして下支えしている。

参加者の方からはこのような取り組みは日本だけでなく、中国でも伝統産業は衰退しているので、大いに参考になったと意見をいただいた。

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