永楽屋の復活
これまで久しくタオル主体の事業に移行していましたが、もともとは日本最古の綿布商として手ぬぐいを扱っており、今一度手ぬぐいで勝負することを考えました。倉庫を見てみると、大正から昭和初期にかけての手ぬぐいが見つかり、そのデザインが活かせないだろうかと復刻版を売ることを思いついたのですが、当時の時代背景があってこそ生まれたデザインであり、現代ではほかの企業には簡単に模倣できないものだという確信が持てました。実は、社長就任以前にもアイデアはあったのですが、番頭などの反対もあって実現できていなかったのです。
自分以前の当主は、番頭格の人が実務を仕切ることが世間的にも普通でしたが、老舗は、古いものを大事にすると同時に、新しい試みが必要だと思っていましたので、自分の時代になって、社長自らが乗り出すスタイルに変えたのです。
歴代当主のなかで、トップ自らが実務を取り仕切るのは初めてのことだったと思いますが、自宅売却などで私の本気度が伝わっていたこともあり、社内での大きな抵抗はありませんでした。
永楽屋の革新
オシャレな手ぬぐいの開発秘話を聞く
まず、社長になってから1年くらいかけて全国の現場を回って優れた染色技術を持った職人さんなどを探しました。手ぬぐい製作は12工程くらいあるのですが、当時、景気が悪かったこともあり、さまざまな職人さんにも話を聞いてもらえ、いろいろ教えてもらえたことは幸運でした。
また、私が、かつてモノづくりを経験していたことで、これまで当社になかったタイプの経営者として、職人さんたちと同じ目線で会話することができたのも、大きなアドバンテージでした。と同時に、小売への進出を決意しました。
ここでも、業種は違えど、かつてアパレル店長として、お客様に直に接し、どんなことを考えて購入するのかを身を持って体験したことが活きることになりました。
それぞれ異業種とはいえ、自ら製造と販売に携わった経験が自信となり、私を突き動かす原動力になったわけで、祇園や宇治など繁華街・観光地に積極的な多店舗展開する一方、SPAの手法を取り入れ新たなビジネススタイルを構築することができたのです。
新たな展開として23mの手ぬぐいを染め上げ、アート展を開いた話を聞きました。
ただ、すべてが順風満帆だったわけではありません。2008年までは絶好調で東京も含めた多店舗展開が成功してきましたが、リーマンショックと東日本大震災が影を落とすことになり、京都に店舗を集中しました。従業員数も最大120人まで増えましたが、現在は50人くらいです。
まとめ
400年の歴史の中で栄枯盛衰を繰り返してきた永楽屋伊兵衛、現14世細辻伊兵衛様もタオル業界からの撤退、本社の立ち退き、先代の急逝など危機に何度となく見舞われた。それを持ち前のアイデアと行動力、社長の顔を見える化したセルフプロデュースが功を奏して、再興を果たした。伊兵衛くんの行く末は前途洋々である。
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